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2005年

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2005年7月26日(火)      海

海岸の近くに住んでいます。夏になると、体調が良い時、海に行きます。今日は久しぶりに、愛犬マロンも連れて、散歩に行って来ました。風が強く、波も高かったです。海を眺めると、開放的な気分になります。

 

2005年7月27日(水)      筋ジストロフィー福岡県在宅交流会

先日、結成大会が行われて、今日、私も会員となりました。 (目的)  

本会は在宅で生活する筋ジストロフィー(進行性筋萎縮症)の患者及びその家族のQOL(Quality Of Life:生活の質)の向上を図るため、患者交流会や勉強会等をとおして病気に対する正しい知識の習得や情報の交換をしたり、会員同士の親睦を深める事を目的とする。

 

2005年7月28日(木)      カニューレ交換

いつものカニューレ交換。 もう慣れているはずなのに、やはり緊張しています。昨日からちょっと喉が痛くて、痰も増えています。夏風邪かも?   

 

2005年8月2日(火)      散歩

朝から雨で、予定していた散歩に行けるかちょっと心配でした。呼吸器を積んで行くと、体調だけではなく、天気も良くないと行けません。

予定した日に行けなければ、次はいつ行けるか分りません。健康な人にとって、ただの散歩で、そんなに真剣にならなくてもいいと思われるかも知れませんが、自由が利かない身体の人の場合は、ただの散歩たけでも非常に楽しみにしていることです。

4時頃に雨が止んで、散歩に行きました。ラッキーでした!

 

2005年8月4日(木)      充実感

一日の終わりに、「今日もよくやった」と充実感を感じることが出来たら、それは幸せなことだと思います。障害を持って、毎日誰かの世話になっていると、自分で自分をほめてあげることが少ないのです。日々の努力が大切ですが、70点ぐらいでも「よくやった」と思えるようになることも大切なのではないでしょうか。  

 

2005年8月6日(土)      広島とアウシュビッツ

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が広島に投下されました。この一発の原子爆弾により、約14万人の人が死亡したとされています。第二次世界大戦時にナチスが占領地ポーランドに建設したアウシュビッツ(ポーランドではオシフィエンチム)強制収容所で、150万人もの尊い命が毒ガスによって奪われました。

 

私の世代は戦争を知りません。しかし、母の世代はその恐ろしさを知っています。子供の時に聴かされた話では、とんでもない時代だったと言います。終戦後、ポーランドは自由のない時代に突入しました。支配的なソ連に、発言の自由を奪われ、多くの犠牲者が出てしまいました。その冷戦の時代で、私が生まれ、学校で歴史を学びました。1981年に来日した時に、本当の自由と平和の意味が初めて解りました。

 

現在、広島の原爆ドームと同様にアウシュビッツは『人類が二度と繰り返してはならない20世紀の負の遺産』として、ユネスコ世界遺産に登録され、ポーランド政府が国立博物館として保存しています。

 

2005年8月9日(火)      買い物

福岡は残暑が厳しく、いつもより疲れます。ちょっと気分転換のために福祉協議会の車(リフちゃん)を借りて、運転ボランティアにもお願いして、買い物に行きました。ヘルパーさん、娘と一緒。少し疲れましたが、楽しい時間でした。この何日か体調が余り良くなかったので、どうしてもちょっと落ち込んでいました。今日は買い物に行けたことで、元気が出ました。

 

 

2005年8月13日(土)      海

真夏日が続いています。食事の量が減ってきました。でも、

海に行く元気はあるから、大丈夫!

 

まだ暑いけど、海の色は少しずつ秋の色に変わってきています。マロンは海に入ってから、車椅子の下で休んでいました。

 

外出する準備はいつもちょっと大変ですが、なるべく母の負担にならないように、娘とヘルパーさんに頼んでいます。本当にありがたい!母に対して、ちょっと遠慮しがち私ですが、なぜかヘルパーさんには頼みやすいです。きっとヘルパーさんの人柄に違いない!

 

 

 

 

 

2005年8月16日(火)      再び海

家の中は暑い! 夕方はお外の方が涼しいので、どうしても海に行きたくなります。歩いて10分なので、毎日でも行きたいですが、まぁーそんな無理なことは言えません。昔から海の近くに住むのは、夢でしたから、その夢が叶っただけで、十分です。ラッキー!

 

 

 

 

2005年8月22日(月)      先生

在宅で、お世話になっていた先生が、急に今月いっぱいで病院を辞めることになりました。なぜ日本では、そんなに入れ替わりが激しいなのか、本当に不思議です。先生が在宅の患者と関わるようになったのは、1年半前からでした。とても優しい先生で、話を良く聞いて下って、説明も丁寧でした。

短い間でしたが、不安がなく過ごせたのは、本当に有難いと思っています。長い闘病生活の中では、こんな別れが一番辛いし、どうしても気持ちが落ち込みます。

 

 

2005年8月23日(火)      気分転換

なぜか女は嫌なことがあると、ストレス解消にお買い物に行きます。私も例外ではありません。今日も社会福祉協議会の車を借りて、買い物に行って来ました。

犬を飼うようになってから、その話題ばかりで、買い物も犬の物の中心です。それも又結構楽しいです。

 

 

2005年8月27日(土)      24時間テレビ

毎年楽しみにしています。何かと勇気をもらうこともあります。今年のテーマは「生きる」ということで、色々と考えさせられます。私にとって「生きる」とは、毎日の小さなことの積み重ねです。

 

 

2005年9月1日(木)      始業式

今日から2学期が始まりました。中学校2年生の娘も暑い中、学校に行きました。

 

夏休みも良いですが、やはり規則正しい生活に戻ってくれて、ちょっとホッとしています。

 

昨日のお出かけは、夏休みの締めくくりとなりました。木曜日は、いつものカニューレ交換とリハビリがあったので、あまりゆっくり出来ませんでした。

 

 

2005年9月3日(土)      週末の散歩

娘の学校が始まると、待ち遠しいのは、週末です。体調と天気が良ければ、散歩に行きます。今日もマロンを連れての散歩でした。昼間は暑かったので、4時頃まで待って、出かけました。いつもの散歩コースでも一週間が経つと、季節の移り変わりが楽しいのです。海辺に着くと、風が強く、海の波が高かったです。それでもマロンは喜んで海に入りました。

 

 

 

2005年9月6日(火)      台風14号

福岡は暴風域に入りました。現在(10時半)まだ風と雨がそれほど強くありませんが、停電する恐れがあるので、昨日から外部バッテリーを充電しています。

 

 

2005年9月7日(水)      台風一過

朝はまだ雲が残っていましたが、お昼から青空が戻ってきました。台風の風と雨は思ったより強くなかったので、被害もありませんでした。今日はいつもと変わらぬ一日になりそう!

 

 

 

2005年9月11日(日)      交流会

水曜日から体調が悪く、今日、予定していた筋ジストロフィー患者の在宅会の交流会に参加出来なくなりました。とても残念ですが、やはり呼吸器をつけていると、いつも身体と相談しながら、生きていなければなりません。行きたいという気持ちだけでは、ちょっと悲しいけれど、それだけで行動が出来ません。後で必ず身体には影響が出て来ます。

 

初めて選挙に参加しました。障害者自立支援法案と福祉のやり方に反対です。アメリカではなく、ヨーロッパを見習って欲しいものです!

 

 

 

2005年9月12日(月)      選挙

自民党の圧勝で、びっくりしました。恐らく障害者自立支援法案も可決されると思います。障害者年金だけでは、生活と娘の教育が出来なくなります。呼吸器を使う人にとって、1割負担は、あまりにも大きいものです。正直言って、ショックです。在宅を諦めるか、娘の教育を諦めるか、その選択を迫られるかも知れません。

 

母子家庭では、母親が重度障害者であれば、福祉児童手当も支給されません。しかし、同じ立場の父子家庭では、ちゃんと支払われています。重度障害を持っている母親は子供を育てる権利がないと言う事でしょうか。

 

 

 

2005年9月18日(日)      海

昨日、カニューレ交換をしました。珍しく一回だけで、フィット感を得られて、思わず嬉し涙が出ました。それで一週間を快適に過ごせます。

 

今日は晴れて、結構暑くなりました。体調もよかったので、海に行きました。夏休みが終わったので、静かな海辺でした。引き潮で、波もなく、穏やかな海でした。

 

 

 

2005年9月19日(月)      看護師

今日、入浴サービスの日でした。新しく入った看護師は、初めて家に来られました。もちろん、今日は研修だけで、慣れなら、スタッフに加わります。

 

スタッフが変わる時、その人と上手く行くかどうかとても不安です。でも前向きにならないと・・・・。今回、大丈夫かも知れません。

 

今の看護師は、暫く来られなくなるので、とても残念です。優しくて、明るい方で、ずっと安心して、お風呂に入ることが出来ました。感謝の気持ちがいっぱいです。Nさん有難うございました。

 

 

 

2005年9月23日(金)      秋分の日

娘はマロンと一緒に阿蘇に遊びに行きました。彼女にも気分転換が必要です。今年の夏休みはマロンのために、どこにも行けなかったから,ちょっと気になっていました。

 

今日、23日は秋分の日です。

今日を境に、徐々に夜の時間が長くなり、ようやく本格的な秋を迎えることになりそうです。

 

先日までは、うだるような暑さにちょっとバテ気味だったのに、いざ、夏が終わってしまうと思うと、淋しくも感じてしまいます。

 

秋分の日とは?

「祝日法」では、地球が太陽の通り道である「黄道」と、天球上の赤道が交わる点(秋分点)を通過する日を「秋分の日」としているそうです。

秋分の日が年によって日にちが異なるのは、うるう年などの影響で、地球が秋分点を通過する日がずれることがあるためです。毎年2月1日に、国立天文台が作成する『暦象年表』にもとづいて、翌年の「秋分の日」が決められています。

 

 

 

2005年9月27日(火)      呼吸器

今日、いつもの呼吸器の点検がありました。異常もなく、メンテナンスまでに、あと3週間です。メンテナンスの時期が来ると、やはり不安です。もちろん、替わりの呼吸器は同じ機種であっても、微妙に違います。呼吸に合わないこともあります。その時、やはり機械を替えてもらうしかなないのです。この17年間、何回機械を替えたことか分りません。でも、いつも「コンパニオン」という機種でした。

しかし、来年、この機種のメンテナンスが出来なくなるため、新しい機種に切り替えなければなりません。それはどんなに大変なことか、恐らく呼吸器を使う人にしか解りません。

今年の11月から色んな機種を試しながら、私に一番合う呼吸器を探すつもりです。新たな挑戦が始まります。

 

 

 

2005年9月28日(水)      パソコン記念日

1979年(昭和54年)のこの日に、日本電気(NEC)がパーソナルコンピュータPC-8000シリーズ「PC-8001」を発売。

 

 

2005年9月30日(金)      スイッチ

今日、急にオペレートナビ用スイッチコネクタは作動がしなくなって、あわてしまいました。

直ぐにNECオペナビの担当の方に電話をしました。恐らくコネクタの接続か、故障かと言われて、テクノツールの方に連絡してもらいました。対応が早かったおかげで、原因が判って、この日記の更新も出来ます。

その原因は接続コードにあって、プリンターのコードに代行が出来ると言われて、やってみたら上手く行きました。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

普段、機械に頼って生きて行くと、いつ何が起こるか、全く予測が出来ないからこそ、人の手助けが有難いなと思います。

 

 

 

2005年10月3日(月)      ドイツ統一の日

1990年(平成2年)10月3日に、東西ドイツが45年ぶりに統一され、ドイツ連邦共和国が誕生しました。ベルリンの壁が崩壊してから、わずか11ヶ月後でした。

 

第二次世界大戦後、ソ連の占領地域は「ドイツ民主共和国」として独立し、一方の米英仏の占領地域は「ドイツ連邦共和国」として独立しました。ドイツは朝鮮・ベトナムとともに冷戦による「分割国」となってしまいました。東西の生活レベルの差があまりにも大きすぎたので、東ドイツではベルリンの東西境界線を越えて西側へ脱出しようとする市民が大量に発生しました。それを防ぐために、東ドイツはこの境界線上に「ベルリンの壁」を建築しました。1961年8月13日のことでした。

 

 

 

2005年10月6日(木)      ペットボトル

朝晩かなり涼しくなりました。あぁー、嫌な季節が始ったのです。今朝、車椅子に移動してもらってから、温かい物を飲んでも、手足が冷えたままで、仕方がなくペットボトル作戦に出ました。2,3年前から、寒い時に900ccのペットボトルにお湯を入れてもらって、手足を温めることにしています。今日は、一本だけでよかったですが、真冬だと、3、4本でも足りません。その時、朝から紅茶に自家製の杏酒しかないのです。ついでに気分もよくなります。(笑)

 

 

 

2005年10月9日(日)      秋晴れ

 

 

三週間ぶりの外出! 青空、涼しい風、暖かい日差し、最高でした!

 

 

2005年10月12日(水)      上手く行かない!

昨日は、いつものカニューレ交換をしました。毎回同じ様にしてもらっているのに、上手く行くと行かない時があります。今回は4回もやり直しても、フィット感がなく、様子を見ることになりました。しかし、夜は痛みが出てきて、一週間そのままで過ごすのは、絶対に無理だと判断して、今朝、病院に連絡をしました。午前中に看護師が来てくださったので、改めて2回もチャレンジをしました。それでも、痛みが残っています。もう諦めるしかないのです!

 

 

 

2005年10月13日(木)      最悪!

障害者自立支援法案は厚生労委員会可決!眠れない!

 

 

2005年10月16日(日)      英検

娘は英検2級を受けに行きました。

なぜか私の方が緊張しています。

 

 

2005年10月18日(火)      最高!

昨日、娘が学校から帰ってからは「明日、学校の都合で早く帰ってくる」と言いました。

平日では、あまり外に出る機会がないので、こんないいチャンスはめったにないと思いました。

今日、早速リハビリをサボって、(先生、ごめんなさい)、ヘルパーさんに頼んで、娘とマロンと又海に行きました。最高!

 

 

 

 

 

2005年10月29日(土)      毎日

先週、右目を傷めて、涙がボロボロ落ちてたのに、もうこのことを忘れて、毎日パソコンに向かっています。

 

本当はそれがいけないと思っていても、パソコンは私にとって、唯一自分に出来ることです。

パソコン依存症と言われても、過言ではない!

 

 

 

2005年10月31日(月)      ハローウィーン

 

Trick or treat!

 

最近では、ハローウィーンは私たちの生活にも身近になってきましたね。

 

ところで、ハローウィーンと言えば、「かぼゃ」ですが、どうしてハローウィーンには「かぼちゃ」なのかみなさんご存知ですか?

ハローウィーンの歴史は実はかなり深く、紀元前5世紀のアイルランドにまでさかのぼります。紀元前5世紀というと約2,500年も前のこと・・・・

 

当時のアイルランド地方に住んでいたケルト族は、10月31日を一年の終わりとする暦を採用していました。一年の始まりにあたる11月1日には、秋の収穫を祝い、冬の始まりを迎えるお祭りを行っていたそうです。

 

この時期は、生の世界と死の世界の境界が薄くなると考えられていたので、死者を弔って食べ物をお供えするのが慣わしでした。また、死の世界からやってくる悪い霊を追い払うために、「カブ」に顔を彫って提灯にしたり、オバケの格好をして近所中をパレードしていたみたいです。

これが現在の“Trick or treat!”(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!)の由来となっているのです。

 

アメリカでハローウィーンが祝われるようになったのは、1,800年代も後半に入ってからのことです。アイルランドやスコットランドの移民が持ち込んだと考えられていますが、カブよりも「かぼちゃ」が使われるようになったのは、アメリカではかぼちゃの方が手に入りやすかったからだそうです。

 

ちなみに、かぼちゃで作った提灯のことを“Jack-O’-Lantern”(ジャック・オー・ランタン)といいます。昔「けちんぼジャック」という男が、黄泉の世界に連れて行こうとした悪魔と取り引きをし、その悪魔を逆に騙したために、死後地獄にも行けず黄泉の世界をカブのランタンを持ってさまよい続けたという伝説から、ジャック・オー・ランタンと呼ぶそうです。

 

欧米ではハローウィーンにちなんで、いろいろな催し物が行われます。みんなでジャック・オー・ランタンを作ったり、パーティーをしたりしています。アメリカのお友達に聞くと、ショッピングモールなどでも、仮装をした店員が子供達におかしを配ったりすると、大人も一緒になって楽しむ行事となっています。学校や会社にも、仮装して来る人が たくさんいて、そのためにずいぶん前から準備をしているそうです。

 

童心に返ってみんなでその時間を楽しむ風習や文化は素敵ですね。

 

ちなみにポーランドでは、こういう習慣が全くありません。

 

 

 

2005年11月1日(火)      「万聖節(総聖人の日)」

11月の1日をキリスト教会では永眠者記念日としています。万聖節とも呼ばれています。仏教で言えばお盆とかお彼岸に相当するものです。この日、私たちは懐かしい人々と思いでの中で再会します。ポーランドでは祝日なので、必ずお墓参りをします。

 

 

2005年11月4日(金)      夏日

福岡は季節はずれの夏日。どこかへ出かけたい気分ですが、朝からカニューレ交換のことが頭から離れてくれなかったのです。一昨日より上手く行くのか、痛みがなくなるのか、・・・

お昼前に、病院の看護師が来てくれました。

緊張、ドキドキ、早くやってくれという気分・・・・

生きているためにしないといけない毎週の交換は死ぬまで続くと思うと・・・・。17年間は長すぎます。

今日、2回目でカニューレのまぁまぁのフィット感を得てちょっとホットしたところです。

 

 

 

2005年11月11日(金)      雨

一日雨で、マロンも嫌みたいです。

インフルエンザの予防接種を受けました。ちょっと安心です。高熱が一番危ないので、この三年間、毎年欠かさずに受けています。

 

 

2005年11月12日(土)      掲示板巡り

福岡は晴れで、暖かかった。予防接種を受けてから、「おとなしくしてね」と看護師に言われて、今日の散歩を諦めるしかなかった! 悔しいけど、二、三日の辛抱!

ホームページを開設してから、色んな方と知り合って、嬉しいです。今日は、散歩の代わりに掲示板巡り・・・挨拶もして・・・楽しかった!

 

 

 

2005年11月19日(土)      もう一週間?!

あっという間の一週間。おい、おい、なぜそんなに速くすぎるのよ? でも、良いのではないか・・・だって毎日を楽しんでいるよ。何か変わったことがあったのか。宝くじでも当たったの?

宝くじよりも、もっと大切なもの・・・・人の心!

 

 

 

2005年11月20日(日)      風邪対策1

ちょっと変った対策ですが、続ければ、結構効果があると実感しています。それは裸で寝ることです。3年前から、4月の終わりから12月の初めまで、それを守ります。始めたきっかけは、寝つきが悪くて、ベッドに入っても、寝るまでに大分時間がかかっていました。何か出来ることもなく、時間だけが過ぎて行ったのです。あるテレビの番組を観て、裸で寝ることを思いつきました。最初は、ちょっと恥ずかしくて、地震でも起きたらどうしようと思いました。しかし、続けているうちに、寝つきが嘘のように良くなって、おまけに風邪も引かなくなりました。

 

 

2005年11月27日(日)      風邪対策2

紅茶に自家製杏酒です。冬の朝は中々体が温まらない時、母が杏酒の入った紅茶を作ってくれます。ポーランドでは、お茶と言えば、やはり紅茶です。日本の緑茶と同じように色んな種類があります。体を温めるために、紅茶に入れるものも様々です。ジャムとレモンを入れる人がいれば、フランデーかウイスキーを入れる人もいます。

 

ちなみに、ウイスキーとフランデーの違いとは?

ウィスキーは、蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵、蒸留したものです。

ブランデーとは果実を原料として発酵した後に蒸留したお酒のことです。一般的なブドウを原料としたブランデーの他、リンゴやミカンなどを原料としたブランデーもあります。ブランデーは蒸留した後に樽で熟成させるのですが、殆どが新酒と古酒をブレンドしたものです。現在代表的な種類であるコニャックは、17世紀初めに生まれました。寒波と宗教戦争の影響によって良質のワインを作れなくなってしまい、ワインを蒸留するようになったのです。

 

 

2005年11月30日(水)      外出

明日から12月。もう外出を控えなきゃと思うと、ちょっと辛いです。呼吸器を使用する場合は、寒さだけではなく、乾燥も良くありません。家の中では、加温加湿器を使います。外では、人工鼻(自分自身の吐く息の水分をホースの外に出さないという仕組み)に頼るしかありません。しかし、それが不十分です。

 

 

 

2005年12月2日(金)      更新

今日は一日を掛けて、ホームページのデザインを変えました。もう直ぐクリスマスなので、ちょっと派手に・・・

娘に言わせると、「ちょっと」ではなく、「かなり」です。まぁーいいじゃないか・・・一年一回のクリスマスだから・・・

 

 

2005年12月3日(土)      クリスマスツリー

一年間物置に眠っていたクリスマスツリーを娘が出してくれました。180センチもある大きいなツリーで、何年か前に一人で天辺を飾れなかった娘が爪先にも立てず飾り付けする姿を見て、ちょっと感動しました。成長したな・・・(ノ_・、)グスン

 

 

 

 

2005年12月5日(月)      初雪

昨日から寒さが一段と厳しくなりました。今朝、初雪が降りました。海の近くなので、波の音が聞こえるぐらいで荒れた天気でした。

ベッドで過ごす時間が長くなります。

 

 

2005年12月7日(水)      新たな挑戦

朝から晴れで、いい気分で起きられることができたのに、今は何か凄く不安です。

 

現在、使っている呼吸器は来年にメンテナンスが出来なくなります。17年間同じ機種に頼っていた私にとっては、相棒を失う気持ちです。そんな大げさに考えなくてもいいのでは・・・私もそう思って、まだ今の呼吸器を使えるうちに別の機種を試してみることに決めました。アメリカに住んでいるお友達にも聞いて、試したい機種を決めました。

 

昨日は呼吸器の業者から連絡があって、今日は一台を試すことになりました。緊張すると、呼吸にも影響がでるから、なるべく落ち着いて、慌てずに試そうと思いました。別に直ぐ結論を出さなくても・・・・と自分に言い聞かせていたのに、いざとなると怖くて、その瞬間が来なければいいなと思いました。

 

新しい呼吸器は小さく、見た目も良く、今の機種より重さも半分・・・言うことなし、あと繋いで、息をするだけでした。繋いで見ると、とんでもない勘違いに気付きました。自発呼吸があるため、今まで使っていたモードが全く働かず、設定をし直しても、駄目だと分りました。その時点で、この機種を諦めるしかなかったのです。期待をせずに試してみようと決めた私も、多分業者の方も、さすがにそこまで上手く行かないとは、思いもしませんでした。

 

健康な人が息をするということは無意識で、当たり前に行っている動作にしか感じられません。しかし、呼吸器を使うようになると、その複雑な動作に驚きます。同じように息をする人がいないから、同じ機械はいくら性能が良くても、皆に合うのが不可能です。

 

17年間慣れていた呼吸器の代わりに、別の物を使って見るということは、元々無理な話です。でも、生き続けるために、苦しくても、そうせざるを得ません。果たして、私の呼吸に近い呼吸器が見付かるかどうか大きな問題で、まだまだ出口が見えないトンネルの中で暫くいる日々が続きます。

 

 

2005年12月9日(金)      嬉しい!

明日、今年の最後のお出かけ。11月の終わりからその予定をしていて、福祉協議会のリフト車も予約をしました。しかし、運転してくれるボランティアがいなくて、困っていました。やはり年末は皆さんが忙しいので、諦めていました。ところが、今日になって、事務所から「見付かりました」と連絡がありました。涙が出るほど嬉しかったです。嫌なことがあれば、いいこともありますね! ボランティアの方に感謝、感謝・・・心からありがとうございます。

 

 

 

2005年12月18日(日)      寒波

昨夜の寒さ、半端じゃなかった! 体が芯まで冷えて、起きるのも辛い! ずっとベッドに入っていたら、どんなにラクか・・・

でも、起きないと、体が怠けてしまいます。

もう少し我慢すれば、好きな春が来ます。インターネットの仲間、友達に支えられて、今日も車椅子に座っています。

 

 

2005年12月20日(火)      同級生

明日、大学時代の友達が福岡に来ます。彼女は日本学科を卒業してから、大学に残りました。17年ぶりの再会なので、ちょっと緊張しています。でも、懐かしくて、久しぶりに色んな話が出来ると思うと、嬉しいです。

 

 

2005年12月22日(木)      再会

17年ぶりの再会は、何となくちょっと湿っぽくなりました。彼女は私の今の姿を知りませんでした。大学に通っていた頃は、歩かないだけで、大抵のことが自分で出来ていました。それを思うと、病気の進行が速かったです。しかし、昔のことを考えても、仕方がありません。思い出として、心の奥にしまうしかないのです。折角の再会ですから、楽しく過ごさなきゃ!

 

 

2005年12月24日(土)      ディナー

朝からあまり体調が良くなかったです。久しぶりに酸素を使いました。やはり喋りすぎかな。

ちょっぴり悲しい。あぁー昔のように行かないので、悔しい! 

夜のクリスマスディナーにもう一人、福岡に滞在しているポーランドの友達を呼んで、ポーランド料理を母に作ってもらいました。美味しかったけど、日本食に慣れている私には、少し重かったです。

 

 

2005年12月25日(日)      パーティ

昨日より気分がいいです。自分でも不思議。

今日、日本の友達とのクリスマス会、毎年の恒例行事で、サンタさんも参加します。

 

 

 

2005年12月26日(月)      買い物

友達とお別れしてから、年末の買い物に出かけました。正直言って、迷っていました。でも、折角、車とボランティアの方も空いていて、天気も良かったので、こんなチャンスを見逃したら・・・

買い物のねらいは娘の靴でした。しかし、今の中学生は、何でもいいという訳じゃないみたいです。気に入ったデザインがあったが、サイズが合いませんでした。店員に聞くと、25センチなら、紳士用になるので、デザインも違います。結局、娘がガッカリした声で、「そこまで私を成長させたのは、ママだよ」と言って、店を出ました。今度、福岡に足を運んで、買いに行くしかないのです。

 

 

2005年12月29日(木)      カニューレ

今日は今年の最後のカニューレ交換でした。前回6回目(最高記録)でやっとフィット感を得たので、今回、もし、そうだったら・・・来年はどうなると考えていました。でも、今回は一回目で上手く入りました。あぁ、良かった。それで痛みもなく、快適で新年を迎えます。 \(^o^)/

 

 

2005年12月30日(金)      2005年

今年は私にとって、どんな年だったのかな?とにかく、色んな出会いの年で、人の優しさを感じさせられる年でした。毎日の生活の中でも、変化がありました。母の反対を押し切って、ヘルパーさん、訪問看護の時間を増やしました。そして、ホームページを開設してから、自分でも何か出来ることがあると分りました。そのことが喜びに変わりました。

それから、娘の夢を叶わせることも出来ました。念願の犬が家にやって来ました。呼吸器を使っているから、最初、すごく不安でした。でも、何の悪い影響がなく、今はペットを飼う喜びが大きいです。

来年も笑顔と感謝を忘れずに過ごしていれば、きっといいことがあると信じています。

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